我が家におネコさまがやってくる。名前はまだ無い。
月曜に父から「猫が貰えるかどうか?」というメールあり。
母が「どう思う?」と私に問うたので「どうとは?」と質問で返す。
「貰う」「そう」
私の答えなど関係なく母の心は貰うと決まっていた。
ここ数年は猫を飼いたいがきっかけがないという状態だったのだ。
顔がニヤニヤとしていたので聞くまでもない。
「どんな猫?」「メールで確認する」
欲しい気持ちが先行していてまったく心が浮ついている。
「四月に生まれた子猫」「色は?」「写真を求める」
白と灰と黒のトラ模様。サバトラというらしい。検索した。
「小さい可愛い」「小さい可愛い」
母と私の意見は一致した。写真で見る限り整った顔立ちをしている。
「性別は?」「メールで確認する」
両親の連絡は時折とても効率が悪い。互いにメールが短いのだ。
「メス」「メス」
私たちは頷いた。どちらが良いも悪いもなにも知らない。
それ以前に我が家にはきちんと動物を飼った経験がある人間がいない。
クワガタを一週間で死なせ、ザリガニを三日で死なせた私がいるのみだ。
「準備をしよう」「そうしよう」
けれども飼い方など知らない私たちにはなにが必要なのかよくわからない。
それでもネット社会は大体のことが検索で事足りる。
だが母は安心のために本を必要とした。読書家なのだ。
いくつかの本屋を回り、直感的にこれが気に入ったようである。
そして必要なものを書きだしさっそく買い物に出かける。私も同伴した。
それが昨日になる。
「おネコさま」
私はとりあえずまだ見ぬ猫をそう呼ぼうと決めた。
ケージを組み立てたり、トイレを用意したり、食事の心配をしたり。
飼うはずの人間がすっかり精神的に飼われてしまっている。
可愛さを求める私たちにおネコさまは可愛さを提供してくれる。
ありがたいありがたい。
これはそんなおネコさまとの生活を不肖私が記録させていただくものだ。
そのお姿も写真に収めたいと思っている。許可はまだ得ていない。
おそらくおネコさまは「ダメ」とは言われないだろう。
「にゃあ」とか「みゃあ」とか言うに決まっているので肯定と受け止める。
人間とはこのように傲慢な生き物なのです。おネコさま。